平成23年12月4日開山五周年記念法要開白
全文より一部抜粋
沖縄山城間院長谷寺は、平成十七年の年頭、私の夢枕に総本山長谷寺のご本尊様の示現されたことに由来し、平成十八年十一月二十八日の開創法要にはじまり、続いて総高4.5メートルの大観音様を勧請して平成二十年一月三十日には宗派の管長猊下をお迎えして入仏開眼大法要を営みました。
その後地元糸満市はじめ沖縄の各地からの参加者を得て結縁お授け法要の機会をもち、更には二名の得度者を頂くことができました。
また昨年は多くの篤信の方々の御協力により境内に潮平三十三観音霊場を開くまでになりました。長谷寺では毎月第一第三日曜日に定例の坐禅会や仏教勉強会を開きながら皆様の御協力のもと精進しています。

沖縄の長谷寺は何よりも二つの事柄を重視して参りました。その一つは沖縄戦での敵味方を超えた彼我の戦没者と戦災犠牲者のご供養を行うことです。これに関連して毎年各地で行われる遺骨収集活動に参加させていただくとともに、沖縄と世界の平和を願い、諸宗教との協力を強めながら、お釈迦様の平和の教えをこの地に広めることに努めております。

いま一つは、長谷寺を皆様に開かれたお寺にすることです。お寺はお葬式だけをする場所との誤解を解き、常により高い理想のお寺を求めつづけることです。
今年からお寺をギャラリーとして開放し、今後は沖縄の文化芸術活動の一拠点として広く地元や県内各地の皆様のご希望に応えていきたいと願っております。

沖縄及び世界の各地に、恒久平和と生活の平穏が訪れますようにお祈り致します。


時維 平成二十三年十二月四日

沖縄山 城間院 長谷寺

住職 岡田弘隆 敬白
更新日:05/02
六大新報 平成二十三年新春特集号 寄稿
三十四身二十説法 沖縄県糸満市 長谷寺住職 岡田弘隆
おかげさまで、沖縄で五回目の新年を迎えました。沖縄戦激戦の地、糸満市に沖縄山城間院長谷寺を開創したのが平成十八年の十月でした。
私は毎朝の勤行に観音経をお唱えしています。また第一と第三日曜日には座禅会と勉強会を開きますが、そこで読経と観音経の解説をしたりしています。
皆さんは「三十三身十九説法」という観音経の教えをご存知でしょう。
観音様は、人々の必要に応じて姿形を変えて、教えを説かれるとの教えです。その例示が、仏心から順次具体例をあげて説かれており、女性になったり子供になったりしてと、三十三の変化身の例示をあげ、説法の場面としては十九の説法をお示しになっておられます。
これをまとめて「三十三身十九説法」と呼んでいるのです。
そうすると、と私はある朝忽然と考えがひらめきました。
その例示の先には、今度は私が救わなければ外には救うことのできない人に対しては、観音様はまさに私になって、その救わんとする人をお救いになられる。そういう場面があるはずである。いやまさに私が毎日遭遇している場面は、その場面に他ならない。私がお救いしなければ一体誰が、その方をお救いされるのであろうか。私をおいては外にはいないと。
親や配偶者の介護に、日々に向かい合っている多くの方々。地球環境の維持と保全に毎日向かい合っている方々。左右と問わず政治の世界で真剣勝負をして国民の幸福のために努力しておられる方々。ありとあらゆる職場で日々に持ち場を守って努力を怠らない方々。六大新報を継続発行するために命を削っておられる方々。どの、どこの場面でも、自分をおいて誰がやるぞと、一所懸命になっておられるそれぞれの尊いお姿は、とりもなおさず観音様のお姿に他ならないものなのです。
そのことを、ある朝の勤行の席で、そのようなお姿が「三十四番目の変化身であり、二十番目のお説法のお姿なのだな」と分からせていただいたのでした。
そのような意味で、私が私こそが観音様の変化身だと自覚することも大切ですし、またお互いが、自分以外の方々が、ああこの方が観音様の変化身さんなんだなと、尊敬の念をもって接すること、それも大切なことだと分からせていただいたのでした。

観音経には、偈文の部分に「十方諸国土 無刹不現身」とあります。
この「刹」の意味を「国土、世界、国」の意味と理解して、「十方の諸々の国土に国として身を現さないという所はない」ということから、「あらゆる国々に観音様はそのお姿を現されて人々をお救いになられますよ」という意味に理解しています。これが通説といってよいでしょう。
しかし私はこの理解に疑問を持っています。もし通説のような理解なら、この偈文は「十方諸国土 無国不現身」となってもいいはずです。それを刹と呼んだのには別の意味があるのではないか。
そう考えて、私はこの偈文の「刹」の意味を「刹那」の刹と理解して、「十方の諸々の国土に刹那として身を現さないということはない」と理解することにしています。こう理解すると、「一刹那といえども、観音様は身を現さないということはない」。つまり観音様は常に私と一緒におられますという意味になります。要するに観音様の「同行二人」の意味となります。
もちろん、刹の文字は梵語を翻訳したものですから、その立場からは間違いとなるのでしょう。しかし古来から経文の理解は字義どおりだけではありません。経文を味読し身読するならば、私の理解も許されるのではないでしょうか。

沖縄の長谷寺は以前の持主城間巌氏の屋敷を引き継いだものです。境内は千三百坪ほどあります。高低差二十メートルの傾斜地を含むものですから、その地の利を活かして西国三十三観音霊場の写しを新たに作りました。各々のご本尊様は西国霊場の御影絵像を開眼してお祭りしています。地元の潮平の名前をとって「潮平三十三観音霊場」としました。番外の発起院、元慶寺、花山院もあります。工事費がかかりましたので、その御寄付を募りましたら、合計で百二十二人の方々から御寄付が集まりました。沖縄の方々と県外の方々と様々です。山頂付近からは沖縄本島から西へ三十キロ先の慶良間列島の島影も見えます。傾斜地には手すりもつき、休憩のあづまやもできました。登ったり下ったりで足腰を鍛えるリハビリにももってこいです。

私の目的は、これから沖縄の離島をいれた全体に、沖縄三十三観音霊場を開創することです。それが私への観音様の夢のお告げでした。現在沖縄には約百のお寺があります。そのうち観音様をご本尊としたり脇侍とするお寺を三十三集めるのですから、そんなに困難はないと思われます。
沖縄は普天間基地をはじめとして「基地と日米安保」に揺れています。国土のわずか0.6パーセントの沖縄に、米軍基地の75パーセントが集中しています。その基地の中の観音霊場の素顔も、内地からの巡拝の方々には知ってもらいたいと願っています。
やがて霊場の神通力も加わってと、米軍基地は過去の話となるはずです。そうなれば、まさに蓬莱の国、観音浄土の実現に繋がるはずです。
沖縄の長谷寺はいいところです。最大で二十名は宿泊できます。これまでも学生や参籠の方々がお泊りになっています。沖縄はまたリピーターの多いところです。一度来ると二度三度と回を重ねます。皆さんもぜひ沖縄にお出かけください。長谷寺によられて南部の沖縄戦激戦地の慰霊行脚をされて、また最先端の沖縄を味わっていただければと願っております。
今年もどうぞよろしくご指導のほど、お願い申し上げます。 合掌
更新日:05/14
平成23年元旦修正会の御挨拶
1 もう平成23年元旦

 あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年も引き続きお願いします。

 昭和64年1月7日が崩御のとき。そこから平成がはじまり、すでに23年です。昭和でいうと86年ですか。

2 命あって新年を迎えられたことに、感謝

  お釈迦さまの言葉から

 人の生を受けるは難く やがて死すべき身の

  いま 生命あるは 尊し

3 門松や松竹梅の意味

 四季に色を変えない松の長寿にあやかる意味

 竹も四季に色を変えない、また真っ直ぐなもの

  また雪にも折れないところから節操堅固

 梅は実がたくさんなることから子孫繁栄の意味

4 鏡餅 かがみもち

 丸くて福徳円満 上のミカンは橙だいだい

5 お正月 元旦 修正会の意味

 身も心も行いも正しくする月の意味

 元旦は一年で一番初めの日の意味 糸満旦男先生

 修正会 過去を反省し 正しい行いを修める意味

 過去の自分を反省して新しい自分に生まれ変わる

 新しい希望や理想を抱いて 船出をする

6 うさぎ年 飛びはねる飛躍の年に

7 沖縄山 城間院 長谷寺は 5回目のお正月

 昨年は 潮平三十三観音霊場がスタート

 その意味は



 今年は 沖縄県内三十三観音霊場の第一歩へ

 糸満で フードバンクの 発足の年に

 平和と繁栄を願って 梵鐘の作成と鐘樓堂建立へ



 三十三観音 おそうじ奉仕 布施行 大募集中

  沖縄一の 清掃の行き届いた お寺に 

  また 誰にでも 開かれた お寺に

  常に 多くの方々が 集まっている お寺に

  そんなお寺をめざします  

  朝に晩に 皆さんの幸福を祈願しています 合掌
更新日:05/14
沖縄だより5 2010年秋
沖縄の興南高校が甲子園夏の大会でも優勝しました。春夏連覇です。夏の大会の真紅の優勝旗を初めて沖縄にもたらしました。沖縄中が沸きあがったのは言うまでもありません。高校野球だけではないぞ。学力テストの成績も、進学や就職も、それに島の産業も全国一を目指せば何とかなるんだ。そんな確信を与えた興南高校の連覇です。

甲子園が終わって八月二十二日が迎え盆(ウンケー)、そして二十六日が送り盆(ウークイ)でした。何で?とお思いでしょう。沖縄は「旧暦社会」と言って、八月二十二日が旧暦の七月十三日に当たったからです。本土では七月や八月の十三日に迎え盆をしますが、沖縄のお盆はいまだに旧暦を通しています。
中秋の名月は新暦の十月二十二日になりました。沖縄の手帳には新暦と旧暦が書かれています。旧暦は現実の月の満ち欠けにぴったりです。なんと味わい深いのでしょうか。お正月は新暦、旧暦ともお祝いします。子供のお年玉は二回もらえるのかと聞いてみました。残念、こちらはどちらか一回だけだそうです。種まきや収穫の農作業にも、また漁業にも旧暦が一番ぴったりのようです。

二百十日などの呼び名も旧暦を基準にしています。芭蕉の「奥の細道」も旧暦で出発しています。皆さんも是非旧暦を勉強してみてください。
更新日:08/16
沖縄だより4 2010年夏
半年前の四月三日、沖縄の興南高校が甲子園の選抜高校野球大会で全国制覇しました。
決勝戦の日に、ここ沖縄の長谷寺では行事がちょうど重なりましたが、野球観戦を優先させて、優勝万歳をしてから、行事をはじめました。

ところで、皆さんは今回を入れて過去十一年間に沖縄が春の選抜で三回の全国制覇をしていることをご存じでしょうか。一九九九年と二〇〇八年の沖縄尚学高校に続く今回の三度目の栄冠です。こんな県は他の都道府県には一つとしてないはずです。

いやいや、読者の皆さんは地元の高校を応援したはずですから、不快な思いをさせてしまったことをお許しください。ですが、米軍基地の問題など、不当なイメージの多い沖縄で、この三度の優勝ですから、やればできる、努力すればできると県民にも、また全国の皆さんにも勇気と希望を与えたのではないでしょうか。まあまあ自慢話も許してください。

今年の九月末で移住して満四年が過ぎ、五年目に入ります。境内に造っていたミニ三十三観音霊場も完成しました。高低差がある所を手すりを伝って歩きますからリハビリにも最適と、地元の老若男女の皆さんにも喜んでお参りしていただいています。
更新日:07/27